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『compassion(コンパッション)』- チベット〈問題〉を考える専門誌
Nov. 14, 2009

compassion

私が寄稿した専門誌・『compassion(コンパッション)』(Vol.2)が発行の運びとなりましたので、ご報告します。『compassion』は、欧米のみならず日本でも近年高い関心を集める「チベット問題」を歴史・文化・思想・人権・環境など多様な視点から考える小冊子です。マスメディアが伝えない、伝えられない情報が満載。「チベット問題」を冷静且つ正面から真摯に考えようとする方には参考になるでしょう。「真言宗智山派青年僧侶有志の会」発行。

同誌第二号のメインテーマは「望郷」と「非暴力」。「有志の会」のリーダーである長谷寺(長野県)の岡澤慶澄住職は、私のドキュメンタリー・『チベット難民』から大きな刺激を受けたと語って下さいました。

岡澤住職を初めとする『compassion』制作スタッフの方々の誠意あるご尽力に心より感謝したいと思います。

同誌の詳細については、関連サイトをご覧下さい。

こちらでも委託販売(頒布価格500円)をしております。購入ご希望の方はメールにてご連絡下さい。


【2009/11/14 15:12】 | チベット問題 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
『少女の思い』
Jul. 9, 2009

old woman

気がつけば、多忙に紛れていつの間にか最後の更新から半年も経ってしまった。又、「思い」を書き綴りたいと思う。

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2009年3月10日、50回目の『チベット民族蜂起記念日』を迎えた。1959年3月10日にチベット民衆が中国軍に対し蜂起を起こしてから遂に半世紀が過ぎた。この間、多少の動きはあったものの、結局、実質的に『チベット問題』は何ら進展を見せていない。この経緯についての見解は、以前の諸記事を通じて述べた。

すなわち、「中国政府」の非道をあげつらうばかりでは状況は動かない。チベット(人)社会の問題をも照射することで、世界を巻き込むビジョンを提示しなければダメだ。そのビジョンを一言で表すなら、「非暴力」。 これを思想・行動の両面で徹底しない限り、状況の打開は全く望めないであろう。

暴力政策を是とした国家権力よりのメダルを未だ返還せず、ガンジーの非暴力とは異なる姿勢を見せるダライ・ラマには、最早、期待する気になれない。難民社会の中から、ガンジーの非暴力思想と行動とを受け継ぐ新たなリーダーの登場が望まれる。しかも、それは僧侶ではなく、若い一般人であるべきだ。

以上の詳細については、先に書いた記事(『非暴力と権力』『”チベット騒乱”ー 非暴力で蒙を啓け』『「暴力」には「非暴力」を』『犀の角のように』『ダライ・ラマ回想』ほか)をお読み頂ければと思う。

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さて、去る5月17日、網走市(北海道)のエコーセンターにて、拙者制作のドキュメンタリー作品・『チベット難民-世代を超えた闘い』の上映会が行われた。後日、主催者から以下のメールが届いた:

【メール本文】

今回、上映会へ来ていただいた方、一人ひとりと最後に挨拶ができました。みなさん、これからももっとドキュメンタリーを見せてくださいとおっしゃっていただき、数少ない若者の観客の中からこんなメッセージをいただきました。

上映会の2日後、16歳の女の子が私のところへ来て、映画を見た感想文を書いてきたので聞いてほしいとやってきました。

(以下感想文抜粋)

「チベット問題は全く知らずとてもショックを受けました。中国がやっていることはあまりにもひどく、たくさんのチベットの人々が苦しんでいることを知れました。国がないという悲しみを私は知りません。国を思う気持ちが受け継がれてみんなで助け合うのをみて、とても胸が熱くなりました。私は自分の無力さと自分が置かれた立場を知ることができたのでとても良かったです。」

”朝学習”の数学の答案の裏に書いてありました。彼女は1時間も私に、チベット問題について話しをして帰りました。図書館に行ってその後、本もたくさん読んだそうです。彼女に、「このメッセージを監督に伝えますね」と約束をしましたので、どうぞメッセージを受け取ってください。

【メール本文 終わり】


このドキュメンタリーは、御蔭様でこれまでに全国各地で上映され、この様な感想は多数頂戴してはいた。しかしながら、数学の答案の裏に認められたという16歳女子の真摯な思いが余りにも純粋且つ強烈で、不覚にも涙をこぼしてしまった。ストレートな感情が胸に響き、自らの仕事に対する責任を改めて痛感させられた。

今後の制作のモチベーションが更に高まったことは言うまでもない。

『チベット難民』は三部作。第二部の構想はほぼ出来上がっている。次回の製作にも色々な問題が立ちはだかるであろう。しかし、その少女の如く純粋な「思い」が、きっと「負けるな! 諦めるな!」と後押ししてくれるに違いない。その「思い」と共にある限り、やっていける。


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【2009/07/09 01:48】 | チベット問題 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
『チベット難民』上映会 & DVD
May 31, 2008




最後の記事から、早、一ヶ月。 月日が経つのは本当に早いものだ。

この間、ビルマのサイクロン災害、中国の四川大地震などアジアで大規模な自然災害が立て続けに発生した。

ビルマの死亡者と行方不明者数は13万人以上。被災者は200万人以上に及ぶという。91年、バングラデシュのサイクロン災害を取材したことがあるので、現場の悲惨な状況は容易に想像出来る。「親が流されていくのを木の上から見ていたの...」と話したバングラの幼女の顔が鮮明に蘇ってくる。一日も早い復興と共に、アウン・サン・スー・チー女史を中心とする民社社会の実現を心より願わずには入られない。

ビルマでの災害の衝撃が冷めやらぬ5月12日、今度は中国の四川省で大地震が起こった。「阪神大震災」の何と10倍もの地震波のエネルギーだという。死者6万人以上、ケガ人30万人以上、行方不明は2万人以上。山間部の村々の詳しい状況は全く分かっていない。今後、この数字は確実に増えていく。私の甥や姪と同じぐらいの多くの子供たちも瓦礫の下敷きとなり死んだ...旅や取材で訪れたことのある四川での大災害...言葉も無い。ただ、今は、哀悼の意を表したい。

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「ビルマと中国の大災害で、マスコミ、特にテレビ報道から『チベット問題』は消えてしまいましたね」

その問題に関心のある近所の理髪店のマスターは嘆息ぎみに言った。

同様の印象を持たれている方も多いだろう。先の記事に書いたとおり、「チベット問題」をマハトマ・ガンジーのビジョンの中できちんと位置づけが出来ていない現状では、このようなことはやむなし。即ち、「今のままでは、『チベット問題』など、他の更にセンセーショナルな問題やイベントの数々の中に直ぐさま埋没してしまう可能性大」なのだ。

「問題」の適切な位置づけ及び的確な認識が出来ていないと、次の様な軽率極まりない発言も当然起こってくる。

「チベット人に対する中国の処遇に不満がある。友人であるダライ・ラマへの対応も悪い。(四川)大地震が起きた時、『カルマ(業)なのか』と思った」

香港のテレビ局の取材に対し米国女優のシャロン・ストーンが語った言葉。全く、何をか言わんや...この地震ではチベット族の多くも被災しているのだ。

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「Sharing the Dalai Lama's vision for Tibet(チベットに関するダライ・ラマのビジョンを共有しましょう)のタイトルでメールが届いた。アメリカのチベットサポートNGO・International Campaign for Tibet への寄付を促す米国俳優リチャード・ギアのメッセージだった。中国政府のチベットでの人権弾圧やダライ・ラマへの不当な発言を非難してはいるが、件名の「Dalai Lama's vision for Tibet」はどこにも見当たらない。

武力(暴力)を基盤とする「アメリカ」という権力からのメダルを未だ返還しないダライ・ラマに、一体、チベットのための具体的などのようなビジョンがあるというのだろうか? 私は知りたい。

自らの「問題点」を省みることなく幾ら対峙する相手(中国政府)を非難したところで、「チベット問題」の解決の糸口は見えてこない。“良き風”は吹かない。先の諸記事(『非暴力と権力』;『”チベット騒乱”ー 非暴力で蒙を啓け』;『「暴力」には「非暴力」を』;『犀の角のように』)に書いたとおりである。

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さて、各地の有志の方々が『チベット難民-世代を超えた闘い』の上映を企画して下さっている。有り難うございます。

 ■ 伊那市立図書館(長野)(6月9日(月))
 ■ 神戸映画資料館 (7月26日(土)・27日(日))
   「特集“チベットへの旅”」
 ■ シネ・ヌーヴォX(大阪)(7月19日(土)~25日(金))
   「“チベットを知ろう2008”/ ”What's happening in Tibet”」

「東京都写真美術館」での上映も予定されています。スケジュールが決まり次第お伝えします。

 
最後になりましたが、長年多数のリクエストを頂いていた『チベット難民』のDVDがようやく発売の運びとなりました。ご関心のある方は、ご購入並びにご自身のブログ、HP等でご紹介して頂ければと存じます。改めまして、このドキュメンタリーを通じてチベット難民の非暴力の闘いの「原点」を感じて下されば幸いです。


チベット難民-世代を超えた闘い(個人用)チベット難民-世代を超えた闘い(個人用)
(2008/05/16)
ダライ・ラマ14世 ほか

商品詳細を見る


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Jun. 11, 2008

「東京都写真美術館」での上映スケジュールが決まりました:

世界報道映画特集(主催:アップリンク)」:(6月27日(金))
詳細はこちらでご確認下さい。



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【2008/05/31 23:36】 | チベット問題 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「犀の角のように」
Apr. 17, 2008

Buddha

「他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め」
(仏典:『スッタニパータ』)

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3月14日にチベットの首都・ラサで始まった「騒乱」より早、1ヶ月余りが過ぎた。やはり、以前の記事でも示したが、予想通り中国政府は強硬姿勢を全く変えようとはしない。多量の兵士・武器をチベットへ投入してチベットの管理を更に徹底しチベット人の弾圧・摘発を進めている。情報統制も相変わらずだ。選抜した報道陣をラサに入れたが、取材場所、対象は厳しく規制されている。国際社会に歩み寄る姿勢は全く見られない。

当然だ。この政府は、ソ連でさえ崩壊した80年代後半から90年代初頭に掛けての“共産圏諸国崩壊”に生き残った“強者”だ。89年の「天安門事件」では、国際社会の非難や経済制裁などもろともせず、市民の民主化要求運動を武力で徹底弾圧し続けた。今回の「チベット騒乱」では、アメリカ議会とEUが対中国非難決議を採択した。しかし、文化交流の中止や経済制裁などの法的拘束力はない。このような“見せかけ”の非難は全く中国政府に対する圧力にはならない。

中国政府は、いわゆる「国際社会」が一枚岩ではないことをはなからお見通しだ。しかも、「中国市場(経済)」が今や強力な政治カードであることを充分に承知している。「チェチェン問題」など同類の国内事情を抱えるロシアが直ぐさま中国政府の対応を支持したのは当然だとして、中国との経済協力関係を深めるカザフスタンを初めとする中央アジア諸国や経済支援でコントロールするスーダンやケニアなどアフリカ諸国も中国政府を支持。チベット難民の最大の受け入れ先でチベット亡命政府もあるインドを初め、世界の大多数の国は静観するのみ。しかも、(チベット難民が長年切望している)国連のアクションは皆無。(まあ、中国とロシアが安保常任理事国なので仕方ないところではあるが...)

欧米諸国は、先にあげた非難決議の他に、ポーランド、チェコ、エストニア、スロバキア、ドイツ、イギリス、カナダの首相が北京オリンピック開会式への不参加を表明している。米民主党のオバマ、クリントン両氏、共産党のマケイン氏が開会式のボイコットをブッシュに求めているが、彼は変わらず出席の意向だ。大統領候補たちのアクションは、今後の大統領選挙をにらんでの国民に向けたある種の政治パフォーンマンスであろう。

人権意識の高いフランスの大統領であるサルコジ氏は開会式出席の条件を「ダライ・ラマとの対話」としている。が、「チベット問題」の歴史を紐解けば、こんな事は突然には到底不可能であることは容易に分かる。原子力発電所の建設など、中国政府との間で巨額の貿易を取り決めているサルコジ氏。さて、どう出る。これも政治パフォーマンスだと推測できるが...

残念だが、北京オリンピック開会式への不参加などは、要は、中国政府と自国の国民に配慮した妥協案に過ぎない。オリンピック自体を不参加すれば、中国政府との関係の悪化が決定的となる。しかし、何もしなければ、世論が反発し支持率を落とす。苦肉の“中間”策。

しかし、その中で特筆すべきこともある。ポーランド首相・トゥスク氏の決断だ。「ポーランドは中小国であり、最初の(ボイコット)国になりたいとはあえて思っていない。しかし、五輪開会式への政治家の参加は不適切である」と各国に先んじて表明。中国政府からの経済制裁の恐怖を感じながらも、率先して決断する。これが、真に勇気ある決断というものだ。さすが、非暴力闘争史に燦然と輝く「独立自主管理労働組合『連帯』」を生んだ国。「ビロード革命」の国・チェコがそれに続いてボイコットを表明したのもさすがだ。

さて、我が国・日本はどうであろう? 今更驚くまでもないが、すべてが後手後手。首相からも議会からも中国政府を非難する何ら具体的なアクションは無い。先日、福田首相の親書が自民党の伊吹幹事長を通じて胡錦濤に手渡された。こんなもので厳しい状況が変わるはずもないだろう。本来、今こそ活躍しなければならない超党派による「チベット問題を考える議員連盟」も機能していない。「事態を懸念している。対話による解決を。」などとは誰でも言える。中国政府に対話させるような具体的な方策の提示が彼らには求められているのだ。何のための政治家だろう? チベット難民の嘆きや、その問題の複雑さを真に理解もせず、或は「チベット問題」の非暴力闘争としての位置づけの出来ない人間が具体的なアクションを起こせるはずもないのだが...今のままでは、自己利益のために、政治の道具として「チベット問題」を利用しているだけと言われてもしかたあるまい。

*********************

繰り返すが、現在、中国の巨大な市場・経済に頼らない国は無いと言っても過言ではない。ゆえに、中国政府は「事態が早く沈静化して欲しい」という各国政府の本音をとっくに見抜き、批判も北京オリンピックが終わるまでの一時的なものだと充分に承知している。

一過性という点では、マスコミの報道も似た様なもの。マスコミの中でも特に公共に影響力のあるTVは基本的に「センセーションナル」を基準としている。だから、俗にいう“面白い(扇情的)”映像が無くなれば、直ぐさま扱いは低くなる。つまり、露出度が減るのだ。TVはスポンサー収入で成り立っているが、そのスポンサーの多くは中国とビジネスを展開している。TV業界の経営人の本音も実は各国首脳と同じである。

特に、日本のTVは長年スポンサーや中国系団体に気兼ねをして「チベット問題」をタブー扱いにして取り上げてこなかった。スポンサー重視の基本構造は変わってはいない。中国政府を怒らせ、バラエティーや紀行ものなど番組製作に支障を来すことも何としても避けたいところだろう。

今のところ、「聖火リレー抗議行動」などセンセーショナルな映像があるので、「平和の僧侶VS 非道の中国」といういかにもTVらしい単純な切り口で時間を割いている。しかし、「チベット問題」とは、実は、そんな単純なものではなく複雑で難しい問題。だから、国民のほとぼりが冷めれば、そして、オリンピックという4年に一度の“稼ぎネタ”が始まれば、お祭りムードに突入し、途端に扱いは激減するに違いない。

実際、亡命政府の元外務大臣が以前の私のインタビューで嘆いていたように、国際社会やマスコミとは移り気なもの。今のままでは、「チベット問題」など、他の更にセンセーショナルな問題やイベントの数々の中に直ぐさま埋没してしまう可能性大だ。「9.11」以降のアフガニスタンやイラク戦争の問題が人々やマスコミの関心から消え去った過程を熟考すれば、これは容易に想像がつく。

*********************

この様な国際社会やマスコミの脆弱さや傾向に乗じて、中国政府は更に揺さぶりをかける。「西洋諸国による中国への圧力行為だ!」「オリンピックを政争の具にしようとしている!」。西側列強諸国に侵略された歴史を巧みに利用して中国人(漢族)のナショナリズムを煽り、「問題」を”中国VS西洋”に巧みにすり替え事態を自らに有利に動かそうとする。見えすいた戦略だが、それが通用してしまう現実...

更に、「チベット人たちの暴動」の映像を繰り替えし世界に配信し自らの正当性を訴える。映像プロパガンダの基本中の基本である。映像が欲しい各国メディアはこれを使わざる負えない。これまた常套手段として「ダライ一派が独立を放棄すれば対話の可能性もある」と繰り返す。中国政府にその意図がないことは先にその理由を既に書いた。ダライ・ラマを中心とする亡命政府は既に88年に独立を放棄している。彼らの求める「高度な自治」さえも中国政府は与える気など少しもないのは明白だ。

胡錦濤(国家主席)は「チベット問題」は内政、主権問題だと今回も断言しているー

「チベットの事柄は完全に中国の内政だ。我々とダライ(ラマ)集団との矛盾は民族問題でも宗教問題でも人権問題でもなく、祖国の統一か分裂かの問題だ」

このように非常に狡猾な中国政府に対して、言葉や書面だけで「中国政府は嘘をついている!」「中国政府は対話により問題を平和的に解決する必要がある!」などと単に繰り返すだけで、彼らが交渉のテーブルに着く訳がないであろう。

だから、先の記事でも述べている様に、その政府に強制的に交渉させるための「世界を巻き込むビジョン」と「非暴力の具体的戦略」が必要なのだ。

********************

そこで、ダライ・ラマである。これも繰り返しになるが、他の勢力に頼るのではなく、彼こそが、その中心にならなければならない。自ら立ち上がらねばならない。しかし、彼は、相変わらず「暴動は中国政府が煽動」などと激しく非難する一方で、「独立ではなく、あくまで高度な自治を求める」「中国政府が対話に応じるよう、国際社会の協力を求める」「北京オリンピックを支持する」と繰り返すばかり。更に、「オリンピックを妨害する行為は止めて欲しい」とチベットや各国での非暴力による抗議活動の制止を求める発言までしている。

対話を呼びかけて応じる政府ならば、「チベット問題」はとっくに進展している。この問題は既に50年以上だ。だから、何度も言っている様に、強制的に対話をさせる状況を作り出す必要がある。それが十分に分かっているから、チベットの民衆や難民は自らの生命の危険を顧みず、非暴力手段(平和デモ行進、ハンガーストライキなど)で国際社会に訴えているのだ。

暴動を煽動した首謀者として既に何人ものチベット人が投獄されている。中国のTVに男性の姿が映し出されていた。表情は青白く固まり手が小刻みに震えていた。その恐怖を想像してみよ。公正な裁判等無く、即、死刑、或は、長期拘留、そして拷問...彼らの勇気、自己犠牲を無駄にするのか。このままでは、彼らのアクションは無駄事に帰してしまう。彼らの勇気あるアクションがあったからこそ、今回、改めて「チベット問題」にスポットが当たったことを考えてみよ。

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ダライ・ラマにはリチャード・ギアを初め著名人の支持者も多い。だが、そういう人間たちを過度に当てにするのも止めた方が良い。日本に限って見ても、ダライ・ラマが来日する度に彼のレセプションや講演に多くの芸能人・著名人が押し掛ける。「法王の教えに感動した」「彼を支援したい」と口々に言う。残念ながら、その殆どはダライ・ラマや宗教に関心があっても、「チベット問題」の複雑さやチベット人や難民が置かれた過酷な状況を真剣に考えているとは想像し難い。

今頃になって、いわゆる文化人の有志が連名で「ダライ・ラマ14世と中国政府首脳との直接対話を求める」声明文を出した。「チベット問題」は既に50年にも渡る問題。特にダライ・ラマが89年にノーベル平和賞を受賞した後は、その問題は欧米では半ば常識である。文化人なのだから当然知っていたはず。中国政府のチベット政策を非難する声明文を出すべき時、出さねばならない時は以前にも幾らでもあった。

私は、これまで、世界最大の人権団体・アムネスティ日本支部の“チベットグル-プ"と共に「チベット難民」をサポートするイベントを行ってきた。しかし、声明文に名を連ねた方々が支援をした事実を私は知らない。それに、彼らが公の場で継続的に「チベット問題」に言及してきたという話も聞いた事がない。

チベット人知識人で作家として世界的に著名なジャムヤン・ノルブはこのような“にわか”サポーターの姿勢を厳しく問い質す。

「『チベット問題』とは、中国政府という強大な権力と対峙することもあり、非常に複雑で困難な問題。だから、真剣にこの問題に取り組む、或は、サポートをしようとするなら、それなりのリスクを負う覚悟が必要だ。」

「彼ら」にはその覚悟があるのだろうか?

その声明文は日本政府と中国政府とに提出される予定だという。そんなことが効力を発揮すると本気で考えているのか。本気で対話の実現を望むのであれば、自らのスポンサーに直接「問題」をアピールするなり、新聞・テレビで非難広告を打つ、テレビ番組・舞台・コンサートで中国政府の対応を継続的に批判するなりしてみるがいい。それが、ノルブが言った「リスクを負う」ことであり、本当の誠意だ。

以前、ダラムサーラのチベット難民の若者たちが慨嘆したー「『チベット』、『チベット仏教』、『ダライ・ラマ』は有名人の“慰みもの”に過ぎない。」この言葉の意味を真摯に受け止めて欲しい。彼らの今後の動向を注視されたし。

普段は人間の本性は見えない。重大で緊迫した状況に直面した時、初めてそれが分かる。「チベット問題」を通じて我々の意志と本質(本性)が試されている。ただ、最近突然登場しだした多数の“チベット問題評論家”たちの「本質」をくれぐれも誤解しないよう。彼らは、皆が騒ぎ出せば騒ぐ類いの、日本人に顕著な、つまり、ジャーナリストの本多勝一氏が指摘する同じ方向に皆で向かう「メダカ」的な、又は、「赤信号皆で渡れば怖くない」人間といったところだろう。少なくとも、真に勇気や誠意ある者たちとは区別するべきだ。

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「チベット問題」を取り巻く状況を冷静に観察すれば、実際はこのような有様。だからこそ、前の記事などで書いたことが必須なのだ。すなわち、ガンジーのビジョンに基づく「チベット問題」の位置づけ、そして非暴力独立闘争。何のために、ダライ・ラマ という「spiritual figure(霊的人物)」がこの「問題」に存在するのか。その意味とは何なのか。

中国政府の強大な武力によるチベット政策を引き合いに出して、非暴力独立闘争は非現実的で、欧米を中心とする国際社会の力を借りて中国を変え「高度な自治」を獲得していくしかないと言う者が多い。確かに、私も十数年前はそんな“常識的”なことを考えていた。しかし、「チベット問題」の性質やそれを取り巻く諸状況、そしてガンジーの思想と戦略とを精査した結果、考えが変わった。

ダライ・ラマの求める「文化・宗教」の分野のみをチベット人に任す「高度な自治」とは一体何か? 今の社会、文化や宗教を経済や政治から完全に切り離して考える事などできない。例えば、「青藏鉄道」。中国政府はその鉄道を利用して、今後も、チベットの観光地化を進めるだろう。加えて、中国本土の経済発展に伴う、そして外貨獲得のための地下資源採掘の加速、人民解放軍による高原の軍事利用の意図も看過できない。

一方、チベットの文化・宗教はその大地と密接な関係がある。つまり、その地の環境保全なくして文化・宗教の存続はありえない。中国中央政府の権限は絶対的だ。自治内の文化・宗教政策など、国益の名の下に、すなわち政治や経済(開発)が優先され、簡単に駆逐されるのは明らか。しかも、チベットの経済は「中国語」ベースで進む訳であるから、当然、チベット人の“二級市民”のステータスはそのまま。文化の根幹であるチベット語が中国語により脅かされる現状も変わることはない。

チベットの文化・宗教を存続させるには、結局、自らの国を取り戻すしかないのだ。

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一体、何が現実的だと言うのか。一般の誰もが思いつく様な常識的な発想(社会通念)で、強大な武力と巧みな政治・経済戦略を基盤とする中国政府を変える事ができるのか? 天安門事件、ソ連崩壊後も巧みに生き延びて来た政府なのだ。その本質は今も全く変わっていない。そんな貧弱な発想こそが、非現実的だと考えるべきではないだろうか。

強大な「権力機構」に立ち向かい現状を変革していくには、常識的な発想では到底だめだ。それは、結局、その「権力」を維持させる働きをするに過ぎない。「真理の名の下に、大英帝国を非暴力で倒す」といったガンジーのような一見荒唐無稽で非現実的な発想(ビジョン)が必要なのだ。ガンジーは自ら、それが荒唐無稽でも非現実的でもないことを証明したではないか。それに倣ったベルリンの壁を崩壊させた民衆の非暴力運動はどうだ。

実際、ガンジーは、“常識人”たちには中々理解出来ない高邁な思想・理想に根差す非暴力戦略により、強大で狡猾な大英帝国より独立を勝ち取ったのだ。

再び、何のために「チベット問題」にはダライ・ラマという「霊的人物」が存在するのか?「チベット問題」を非暴力を通じて解決するという現実社会を根底より変革する”ドラマ”を起こすためではないのか。チベットの民衆が決起しているように、ダライ・ラマは決断すべきだ。「人生において決断は非常に大切」だと常々貴方は言っているではないか。最上で最も有効な非暴力の戦略をあなたの尊敬するガンジーに倣って真に実行するべき時だ。

ガンジーは非暴力において「真理(法)」の力を絶対的に信じていた。それを唯一の精神基盤として、具体的な非暴力戦略を展開した。仏教徒であるダライ・ラマは「真理(法=ダルマ)」の力を本当に信じているのだろうか?

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問題点は、一般のチベット難民、「チベットサポーター」にもある。

彼らの展開する平和デモ行進は非暴力の基本的な戦術。今後も、大いにやるべきだ。ただ、同時に、思考、そして行動を再度チェックする必要がある。換言すれば、目標をどこに置いているのかを明確に定めるということだ。

彼らは、チベット国旗(「雪山獅子旗」)を掲げ「Free Tibet!(“チベットに自由を!)」と叫んでいる。それは、明らかにチベットの独立を要求していることに他ならない。だとすれば、中国政府の非道を訴える返す刀で、ダライ・ラマの奮起と決起を直訴するべきだ。他方、彼らは「中国政府はダライ・ラマとの対話を!」と訴える。それは明らかに、中国の枠内に収まる「高度自治」を求め、北京オリンピックを支援する現在のダライ・ラマの政策を支持していることだ。ならば、直ちに「国旗」の使用は取り止め、北京オリンピックへの抗議行動も(彼の要求に沿い)控えるべきだろう。

一体、サポーターは何を目指して抗議活動をしているのか? 今のような思考と行動が一致せず、目標が定まらない状況では、良い結果など得られるはずも無かろう。

「どの港を目指して航海しているかを分かっていなければ、どんな風も追い風とはならない」(セネカ〈古代ローマの哲人〉)

オリンピックの聖火をターゲットにした非暴力抗議行動は「チベット問題」を広く知らしめるための方法としてむべなるかな。オリンンピックを私物化する利権集団たるIOCの「暴力的抗議活動は許されない」の声明など全くナンセンス。この程度のデモのどこが暴力的だというのか。己の利益を確保したい意図が見え透いているコメントだ。

しかしながら、悲しいかな、オリンピックの「聖火」という歴史があり、ある種、平和のシンボルとしての「大義」を有するものに対峙するにしては、その抗議行動には、前述したように、思考と行動との統一が無さ過ぎる。だから、それらは西洋主導のどこか粗雑で中途半端なものに感じられてしまう。そのため、有名なマラソンランナーのラドクリフに「チベット人には同情するが、聖火リレーを抗議の場にするのはおかしい」と言われてしまい、「スポーツが政治に利用されている」とメディアにはネガティブに報道される始末。結果、本来共に闘うべき一般の中国人のナショナリズムを煽り、敵対視されてしまっている。

この状況を打開する唯一の方法は、先にも書いた様に、ガンジーのビジョンの中で「チベット問題」を位置づけ、ダライ・ラマをシンボル・中心として非暴力独立運動を展開することだ。オリンピックの大義を遥かに凌駕する「非暴力のビジョン」を具体的に提示した時、中国の市民を含む世界の多くの人々は、オリンピックをターゲットとした抗議行動の正当性を理解し具体的に支持し始めるはず。

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やるなら今しかない。ガンジーを思い、勇気を出して「真理(法)」の名の下に「チベット高原アヒンサー(非暴力)地域構想」を実現すべく歩み出すべき時だ。でなければ、中国政府の圧政によりこれまでに亡くなった100万人以上の者たち、拷問の限りを受けた者たち、そして、現在非暴力で闘っている者たちのアクションや命が本当に無駄になってしまう。今こそ、思考と行動を昇華する時だ。夢なき、ビジョンなき時代に、夢と壮大なビジョンを!

地球温暖化、テロ、環境破壊といった全世界的な21世紀の課題は、我々に意識の変革を迫っている。本来、「チベット問題」はその一環として捉えるべき問題なのだ。

ダライ・ラマ、今こそ、本当の非暴力アクションを通じて「真理(法=ダルマ)」を説くべき時だ。「権力」からのメダルなど返還し、あなたの21世紀における存在意義を示して欲しい。

そして、我々一人一人も同じく21世紀における存在意義を示さねばならない。

2500年前の釈尊の言葉を改めて思い出す。

「この世で自らを島とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」

常識という名の「通念」に流されず、慈悲を柱とする「真理(法)」と共に「犀の角のようにただ独り歩」む決意が、今、必要だ。


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【2008/04/17 21:39】 | チベット問題 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
「暴力」には「非暴力」を
Mar. 19, 2008



予想通りというか、いつも通りと言うか、“チベット騒乱”に関し中国政府は連日常套句を繰り返している。全く、唖然とする稚拙さ。これが本当にオリンピックのホスト国の政府の対応だろうか?

中国首相・温家宝みずから、全国人民代表大会(=国会に相当)でダライ・ラマを名指しで非難した。「ダライ集団が組織し綿密に策動し扇動して起こした事件」「ダライ集団の独立を求めず和平対話をするとの標榜が全くの嘘だと露呈した」これに対し、ダライ・ラマも「私が策動したか否か、国際機関に調査してもらえばよい。どちらが嘘つきか証明されるだろう」と応酬した。

これで、2002年に再開され非公式に行われていたチベット亡命政府と中国政府間の交渉は事実上完全に決裂したと言えるだろう。実際、交渉は当初より進展していなかった。「独立の主張放棄 及び チベット、台湾が中国の不可分の領土であると承認」とする交渉の前提条件を中国政府は亡命政府に突きつけている。独立は放棄したものの、後者を亡命政府は承認していない。はなから交渉は進展するはずも無かったのだ。

折しも、並行して中国政府は「青藏鉄道」の建設を着々と進めていた。「ダライ・ラマとの対話を始めていない」といった国際社会の批判を巧みにかわし、鉄道建設のための時間を稼ぐ。中国政府の何たる狡猾なことか...

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“チベット自治区”のラサの騒乱は、青海省や甘粛省など、中国に併合される以前のチベットの各地に飛び火している。中国政府は情報管制を敷き、国際社会の非難には全く耳を貸さずに徹底的に武力鎮圧する構えだ。89年の騒乱を鎮圧した時と全く同じ強硬手段。今回は「北京オリンピック」という“弱み”を握られてはいるが、今のところ強硬路線堅持の構えで国際社会への歩み寄りはみられない。

一方、ダライ・ラマは、「チベット人による暴動が更に拡大し収拾不能となるなら、(チベットの政治指導者としての地位を)退位する」と述べた。さらに「暴力にかかわるな」「暴力は自殺行為だ」と訴え、支持者や信者に非暴力を貫くよう求めている。確かに、暴力は自殺行為に他ならない。暴力は、より大きな暴力により押さえつけられることは歴史が証明している。暴力によっては状況は改善も進展もしないことは、「パレスチナ問題」一つをとっても明らかだ。取るべき手段は非暴力しかない。

だが、今回の抗議行動は果たして暴力だろうか?断片的に流れてくる映像を見る限り、一部の暴徒を除き、チベット人の大多数は集団を組んでデモ行進をするか、中国国旗をチベット国旗に掲げ代えているだけに見える。又、世界の支持者の行動も基本は上記と同じだ。先の記事で書いたが、ダライ・ラマも尊敬し模範とするガンジーの闘争より判断するなら、彼らの行動はダライ・ラマが言う様な暴力行為ではなく許容範囲内の「非暴力」アクションだと感じるのは私だけだろうか?

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緊迫した状況の中、ダライ・ラマは“身内”の非難にも晒されている。「チベット青年会議(TYC)」の議長、ツェワン・リグジンは、「ダライ・ラマの姿勢には同意しない」と述べ、亡命政府指導部に路線変更を求めている。TYCはチベットの若い世代で構成され全世界に3万人以上の支持者を有するNGO。一貫して中国からの独立を主張し、強硬な平和デモ行進、ハンガーストライキなどを組織している。99年に当時のTYC議長にインタビューした際、「我々チベット人は慈悲を教えるために難民になったのではない。チベットの独立を勝ち取るためだ」と既に暗にダライ・ラマの姿勢・政策を批判していた。TYCのみならず、作家としても世界的に著名なチベット人知識人・ジャムヤン・ノルブもインタビューでダライ・ラマを激しく非難。彼は「Rangzen Chater(独立憲章)」と名づけた小冊子を表し難民社会及び国際社会に”独立政策”の正当性を訴えている。

この“独立派”の言い分に対して、以前(99年)の単独インタビューでダライ・ラマは涙をうっすら浮かべてこう語った。

「難民社会だけではなく、チベット内でも(独立を放棄した)私の政策に反対する者が大勢いることは知っています。心情は良く分かります。だが、中国が対話を拒み、チベット政策が厳しさを増している現状で、一体どうすれば良いのでしょう? 彼ら(“独立派”)の意見には未だ具体性がありません。将来に向けた“青写真”を示して欲しいのです。」

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先の記事にも書いたが、ことここに至っては、ダライ・ラマは、中国政府はまともに対話出来る相手ではなく「チベット問題」を真摯に交渉する意図などないと諦め決断し、「原点(=独立政策)」に戻るべきではないのか。

ダライ・ラマは、「チベットの中国からの独立は現実的ではない」と言う。では、“共産党独裁政権”との共存は現実的なのだろうか? 自国民の切なる自由への言動を武力によりためらいも無く蹂躙する政府と共存することが果たして現実的だと言えるのか? それが、ガンジーを模範とし非暴力を標榜する者の言い分とはとても思えない。イギリスの「将来的に必ず自治権を与える」という申し出をガンジーは決然と断り、独立を主張し続けたではないか。

もし、いずれもが不可能なようならば、死んで行った者も含め、チベット人の大多数が切望してやまないチベットの大義である「独立」を選択するのが筋ではないのか。その時初めて、チベット人や支援者の心(思考)と行動は統一され、大きな力となって膠着した状況を大きく動かすに違いない。今は、全てが中途半端、ばらばらである。

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前回に紹介したガンジーが示したビジョンに基づき、「チベット問題」を将来の世界平和の礎となる「問題」と位置づけ、非暴力による解放(独立)をダライ・ラマ自らが宣言すべきだと思う。それには、先ず、ブッシュの「暴力政策」を容認し世界を暴力と憎しみと恐怖の渦に巻き込んだアメリカ議会からもらったメダルなど返還するべき。非暴力のシンボルたる者、いかなる権力にも近づいてはならない。これは、ガンジーが示した“鉄則”でもある。そして、87年に米議会で提案した「チベット高原アヒンサー(非暴力)地域 構想」に沿って具体的な非暴力戦略を国際NGOと共に練る。ダライ・ラマを批判していた“独立派”が中心的な役割を担わねばならないのは言うまでもない。計り知れないダライ・ラマの重責を分担するのだ。

これまでに幾度となく繰り返して述べてきたが、この「闘い」は、チベット人だけではなく、中国人(漢族)を含む虐げられている全ての人間のための闘いだ。

87年、私は大学生として中国・チベットを独り旅した。中国語もチベット語も全然出来なかったが、深い興味に突き動かされる様に、デカイ登山用のザックを背負い各地を訪ね歩いた。幸いにも、その先々で中国人(漢族)、チベット人にかかわらず、色々な人々に助けられ温かなもてなしを受けた。その思い出は今でも鮮明に蘇るし、数々の恩は決して忘れない。その旅で、チベット人、同室になった英国人バックパッカーより「チベット問題」を知った。そして、仲良くなった中国人の鉄道員を通じて中国共産党の腐敗、非道を知った。多くの一般市民が虐殺された「天安門事件」の2年前のことだ。

だから、「チベット問題」の解決を通じて、チベット人と中国人が本当の意味での「共存共栄」を実現して欲しいと心より願っている。

改めて、ガンジーが語った言葉を(“インド”の箇所を“チベット”に変えて)記したい:

もし、チベットが非暴力の手段によって自由をとりかえすことに成功したならば、チベットは、自由のために闘っている他の民族にメッセージを送ったことになるだろう。いや、おそらくはそれ以上に、世界平和にとって未だ知られていない最大の貢献を果たしたことになるだろう


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【2008/03/19 23:38】 | チベット問題 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
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