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ダライ・ラマ 回想(1)
May 30, 2007

Dalai Lama 1

5月9日付けのロイター通信によれば、ダライ・ラマ14世は米マサチューセッツ州の大学での講演で、今後数年以内の完全な“引退”を表明した。これは、「チベット問題」に関する政治的な役割の引退を意味したもので、引退後もチベット人民を支援し、文化、環境保護の闘いは続けるとのこと。

ついに、ダライ・ラマが第一線から退く日が具体的に近づいてきた。様々な思いが脳裏を過るー

ダライ・ラマと出会ったのは今から8年前、1999年の4月。私はドキュメンタリー制作のため、単身、インドのチベット難民コミュ二ティー(ダラムサーラ)で3ヶ月に渡る難民の取材をしていた。幸運にも、ダラムサーラを去る正にその日の午前中にダライ・ラマとの単独インタビューの機会に恵まれたのだ。インタビュー後、知り合いの僧侶からその日がちょうど「ブッダジャヤンティ(仏陀生誕祭)」の日と聞かされ、“Living Buddha”(=ダライ・ラマ)との不思議な「縁(カルマ)」を感じた(ダラムサラーでの取材についてはこのページで)

ダライ・ラマとの「縁」を感じたのは、インタビューの日が「仏陀生誕祭日」だったからだけではない。

それから更に12年遡る1987年、私はチベットを旅していた。目の前に聳え建つのは世界最大の宮殿-ポタラ宮。歴代ダライ・ラマの住まいであると単に知ってはいた。しかし、ポケーっとただただそのスケールに圧倒されるばかりで、現ダライ・ラマがそこから居なくなった経緯、チベット人達が被っている苦悩など、その時は想像すら及ばなかった。ただ、ポタラ宮内部の今にも異次元へと飲み込まれそうな漆黒の闇にうっすらと浮かぶ仏像群を見た瞬間、「ダライ・ラマにいつか御会いしたい」との純粋な思いが湧き上がってきたのだ。

(『ダライ・ラマ回想(2)』へ続く)



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テーマ:チベット - ジャンル:海外情報

【2007/05/31 01:18】 | ダライ・ラマ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「ヒマラヤ国際映画祭」
May 28, 2007

Himalaya Film Festival logo1


現在進めているプロジェクトの1つー「ヒマラヤ国際映画祭」の紹介です(「新潟日報」&「文化環境研究所」に寄稿したものに一部加筆):


ヒマラヤ

世界の屋根」―ヒマラヤ。インド亜大陸とユーラシア大陸の衝突により生じた地球の巨大な”皺”。東西2400Km、南北250Km、ブータン・中国・チベット・ネパール・インド・パキスタンに股がる大山脈。その中に日本列島はすっぽりと収まってしまう。ヒマラヤとはサンスクリット語で「雪の住家」の意。世界の8000メートル峰14座の全てがここにある。真白に輝き天空に屹立する姿は「神々の座」 と地元民より崇められ、昔も今も世界中の人々のロマンをかき立てて止まない。日本列島に水の恵みをもたらす「梅雨」。実は、この大山脈が要因となっていることは意外と知られていない。

1979年、世界最高峰チョモランマ(エベレスト:8848メートル)を有するサガルマータ国立公園(ネパール)が世界遺産に登録された。ヒマラヤの魅力は長大な氷河と巨大な岩壁とが織り成すダイナミックな自然景観に留まらない。平原から5000メートルの高地(亜熱帯~落葉樹林帯~高山帯)にかけての大森林地帯には、希少種の雪豹、青いケシを初め多種多様の動植物が生息している。動植物だけではなく、人間も多彩な顔を見せる。モンゴル系、チベット系、インド・アーリア系の民族は独自の文化・習慣を現在も保って暮らしている。

”世界四大宗教”の仏教・ヒンズー教はこの地域が発祥の地。日本でも最近関心が高まっているチベット仏教もヒマラヤが故郷だ。加えて、古代文明を育み、今も何億もの人々の生活・精神を潤す大河、ガンジス河・インダス河はヒマラヤの氷河の一滴よりなる。ヒマラヤは人類の”霊性の場”とも言えるだろう。

一方、ヒマラヤは地球上のあらゆる種類の問題を映し出す"鏡"であり、”縮図”でもある。ブータン、ネパールは国連が定めた世界最貧国に数えられる経済的に貧窮した国。貧困と差別とを背景に10年にも及んだネパールの内戦(ネパール共産党毛沢東主義派〈通称:マオイスト〉による反政府武装闘争)は記憶に新しい。環境破壊も深刻だ。法の不整備による商業乱伐、人口増加に伴う農地に適さない山間部での農地拡大...”ヒマラヤの砂漠化”を憂慮する地元の専門家もいる。更に、大国の国境が交わる地政学的な不安定さと多様な民族状況がもたらす、(「チベット問題」)を初めとする民族問題、紛争、核実験、自然破壊も看過出来ない問題である。そして、地球温暖化の影響はヒマラヤにも。この20年ほどで氷河が急速に融け幾つもの氷河湖が発生。温暖化の原因とは殆ど何ら関係のない地元の人々に大きな被害を及ぼしている。


Himalaya Film Festival

ヒマラヤの尽きせぬ魅力、価値を、ヒマラヤ関連の映画作品を通じて世界の人々に伝えることを趣旨に始まった国際映画祭-それが「Himalaya Film Festival(ヒマラヤ国際映画祭)」です。オランダのNGOであるヒマラヤ・アーカイブ・ネーデルランド(Himalaya Archief Nederland(HAN))が2003年よりアムステルダムで開催。

HAN代表はオランダ人医師グレン・ミトレイシング。オランダ人の父とネパール人の母を持つ。青年期、彼は自らのルーツ、アイデンティティを求めて母親の故郷であるネパールヒマラヤを放浪し、そこで、山々のとてつもないスケール、千数百年の年月に育まれた固有の文化の奥深さなど全てに圧倒される。それ以来、ヒマラヤの素晴らしさをオランダを初め世界に伝えたいと長年切望してきた。彼の熱き思いに、ヒマラヤを愛する各国の映画監督が賛同し応えたことにより、映画祭は実現の運びとなった。

会期3日間に、世界各国より選ばれた秀作(ドキュメンタリー&ドラマ)50本以上が上映されている。登山・文化・民族・環境問題などジャンルは様々。オランダのみならずヨーロッパ各地より訪れた観客は映画の鑑賞だけではなく、招聘された監督及びヒマラヤ地域に造詣の深い専門家との交流、音楽イベント等を通じて、ヒマラヤに対する理解を深めている。私は、2004年度にドキュメンタリー作品(『チベット難民~世代を越えた闘い』)が選ばれ現地で多くの知己を得た。厳しい状況の中フリーで制作を続けるアジア人監督たちと知り合えたことは、特に刺激になり、収穫だった。


ヒマラヤ国際映画祭Tokyo2006

2006年、ヒマラヤ国際映画祭は転機を迎える。海外での初開催、東京開催が実現したのだ(「ヒマラヤ国際映画祭Tokyo2006」)。実質的な映画祭の国際化に伴い、統一趣旨を“ヒマラヤ地域を通じて地球と人間の結びつきを考える”と定め、東京開催では特に、”ヒマラヤを通じて地球環境を考える”ことをテーマとした。映画の上映に加え、関連シンポジウム(「地球温暖化問題」)をヒマラヤの氷河が融けている実情を示した映像を交えながら実施(パネリスト:西澤潤一(首都大学東京学長)、小池百合子(環境大臣(当時)他)。この模様は、後日、NHK(BS)で放送された。

当初、「ヒマラヤは日本人に余り馴染みがない。映画祭には900人も来れば御の字」との日本人関係者が大半であった。しかし、蓋を開けてみれば、予想を遥かに上回る約2000人もの来場者(7日間)!中には、態々地方より泊まりがけで来て下さった方もいて、日本におけるヒマラヤの秘めたる”求心力”を改めて実感させられた。

「アメリカ人男性が世界で初めて盲目としてエベレストの頂を極めた記録―『盲目のクライマー』」、「開発の波に翻弄されるチベット族遊牧民の苦悩-『遊牧民と呼ばれて』」、「ノスタルジックな民謡のルーツを探り山々を放浪する男たち―(『歌声はヒマラヤの彼方に』)など、厳選した16作品は押し並べて好評。又、招聘した監督の一人で、ネパール内戦下の教育状況を描いた(『戦火の中の学校』)ドゥルバ・バスネット氏がNHKのニュース番組(『おはよう日本』)で紹介され、反響を得た。

更に、映画祭は、土曜スタジオパーク、ラジオ深夜便(以上 NHK)、毎日新聞、山と渓谷、ソトコトなどのメディアでも紹介された。

観客の方々より「ユニークで素晴らしい映画祭だった」、「来年の開催が待ちきれない」など嬉しいお言葉も多数頂き、開催までの数々の苦労が報われた思いであった。


今後の展望

2007年2月初旬、アムステルダム(オランダ)で第5回ヒマラヤ国際映画祭(Himalaya Film Festival)が開催。今回のテーマは”'Mapping the Tibetan World”("チベット世界を探検する")。すなわち、「チベット世界」のフィチャー。このテーマに沿い、宗教、自然、習俗など様々な視点でチベット世界を捉えた作品群がラインナップの中心に据えられた。21世紀の現在も固有の特徴を色濃く残すチベット文化は世界的に見ても大変ユニークな存在。しかし、その希有の文化、宗教を生み出したチベット及びチベット民族は中国政府による急激な「チベット近代化政策」により自然破壊、伝統文化・アイデンティティの喪失等の危機に直面している。チベット仏教の最高指導者且つノーベル平和賞受賞者であるダライ・ラマ14世もこのことへの憂慮を幾多のインタビューの中で吐露している。今年度のテーマ設定にはこのような背景もあったのだ。

今後、ヒマラヤ国際映画祭は、この様に毎回違った具体的なテーマ(性)を持ちながら進んでいくだろう。監督、専門家、そして観客とのネットワークが更に広がっていけば、当然、様々な”スピンオフ”企画も生まれるはず。個人的には、「映画祭」を核とする”ヒマラヤ環境文化ムーブメント”を創出したいと考えている。

【2007/05/28 13:55】 | ヒマラヤ国際映画祭 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
Greetings & 再出発 ― 「チベット問題」再考
May 23, 2007

poster-e

Greetings!

旧知の方々、「御無沙汰致しました」。他の方々、「初めまして、今後、宜しく御願い致します」。 Anyway, I'm back.

チベット難民を描いたドキュメンタリー作品・『チベット難民~世代を超えた闘い』 『Tibetan Refugees: A Struggle Beyond Generations』(英語版)を制作してから 早、5年以上が経つ。単独でかなり苦労して作った作品だが、御陰様で多くの人々に御覧になって頂き、国際映画祭(Himalaya Film Festival)にも選ばれた。ベルギー議会でチベット難民の現状を知る参考映像として使用されるなど、更なる広がりを見せている。 作品の詳細、制作過程、(これまでの)コラムなどは公式サイトを御覧になって頂ければと思います:www.10system.com

この数年、諸事情で意図的に「チベット問題」とは距離を置いていた(諸事情〈"心の葛藤"〉については 後日記す)。しかしながら、チベット難民の親友たちとは連絡を取り合っている。

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さて、その後、チベット難民を取り巻く状況は改善しただろうか? いわゆる「チベット問題」は進展したであろうか? 残念ながら、答えは「NO」だ。

一部の難民を除いて大多数は経済的に非常に貧しい状況で今も変わらず主にインドで暮らしている。裕福な生活を求めて欧米に移住する者は後を絶たない。「俺は、最後までインドに残りチベット解放のために頑張る」と言っていた北インドに住んでいた若い友人(インドで生まれ育った“難民第三世代”)は、親戚を頼ってカナダに移住してしまった。インドで暮らしていても将来の見当など全く立たず夢も持てない状況では、致し方ないのかもしれない。彼を責める気になど到底なれない。

一方、「チベット問題」も相変わらず停滞したままだ。否、状況は悪くなっていると言った方が正確だろう。依然として、ダライ・ラマ14世をリーダーとする「チベット亡命政府」を公式にチベットの代表と承認する国は一つもない。急成長する経済力を背景に国際的地位と発言力を着実にアップさせる"大国"・中国を前に誰も正面切って「チベット問題」を持ち出すことは出来ないし、しない。アメリカも国連も然り(唯一、人権的な側面からアムネスティが健闘している)。

最近もダライ・ラマはブリュッセルの訪問をキャンセルせざる負えなくなった。中国政府がベルギー政府にダライ・ラマの入国を脚下するよう圧力をかけたのだ。その状況を察したダライ・ラマがベルギー政府に配慮して自ら取り止めた。こんなことは、他国でもこれまで何十回と繰り返されている。

中国の統治下に置かれているダライ・ラマの祖国・チベットに目を転じよう。多数のチベット人がヒマラヤ山脈を徒歩で越えてインドにいるダライ・ラマに謁見しに行く、或は、人権侵害によりネパールへ逃げてくる状況も相変わらず。昨年9月、国境の中国兵士がチベット人の一団を襲い、17歳の尼僧を射殺。この一連の様子は偶然現場近くに居合わせたルーマニア人クライマーによって撮影された。その映像を「Youtube」で見ることが出来る。

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大きく変わった状況もある。中国本土とチベット(ラサ)が遂に鉄道で結ばれた(青蔵鉄道)。この鉄道開通をダライ・ラマを初めとする難民たちは長年非常に懸念していた。

「一つ」には、鉄道が与えるチベットの自然環境・伝統文化へのダメージ。

もろく傷つきやすいチベットにはチベットガゼルなど希少野生動物が生息している。鉄道開通によるチベット観光化がこの自然環境に何をもたらすか。中国政府は“環境に優しい鉄道”を標榜しているが、欧米のみならず中国人専門家も「慎重に調査する必要がある」と釘を刺している。

チベット人は「霊性(spirituality)」を民族の伝統としてきた。それは、チベットの深遠で広大な自然・大地と密接に結びついているものだ。ゆえに、「霊性」の伝統を維持するには手つかずの自然、少なくとも人を容易に寄せつけない自然環境が必須。今、チベットの「霊性」の危機でもある。チベットの聖人・ミラレパもきっと嘆いているはず。

しかし、そんな状況は少しも顧みられず、鉄道開通により“商業主義”が確実に動き出した。中国政府は一大観光キャンペーンを打ち上げ、世界各国の旅行会社はこぞってツアーを組む。マスメディアもこれに便乗し“旅行番組”を製作(正月に放送されたNHKの番組は恰も中国政府のPR番組の様だった)。更に、アメリカの企業がポタラ宮殿の側に高級ホテルを建てるという(一泊、US$400!)。

以前、アメリカの友人(中国歴史学の教授)が冷ややかに予想していたのを思い出したー「鉄道がラサに敷かれたら、早晩、“世界最高所”のディズニ-ランドが出来るよ」彼の言葉がいよいよ現実味を帯びてきた。

ダライ・ラマは、かねてより、チベットを世界最大の“自然公園”にする構想を公にしている。この危機的状況に対する彼のささやかな抵抗なのだ。

「二つ」めの懸念は、鉄道による中国人(漢(民)族)の移住である。

いわゆる“チベット自治区”において、ラサなどの都市部で中国人(漢族)とチベット人(族)との人口比率は逆転している。鉄道開通によりその状況が更に加速し周辺地域へも及ぶとの懸念だ。これは、ダライ・ラマ曰く、"cultural genocide(文化的大量殺戮)”。ラサだけではなく、チベットの至る所が年々”中国街”の様に成っている有様からも、彼の嘆きの意味が理解出来よう。

*****************

”初ブログ”なのに些か長くなってしまった。

さて、ことここに至り「チベット難民(問題)」に関する活動を”心の葛藤”を超えて本格的に再開することにした。

1999年、3ヶ月間のチベット難民コミュニティー (ダラムサーラ〈インド北西部〉)での取材を終え街を去る際、知り合いの老婆が話しかけてきた。私たちは、300キロに及ぶチベット問題を訴えるピースマーチ(平和行進)を寝起きを共にしながら歩いたのだ。彼女は130人のメンバーの一人、私は取材者として。胸の前で手を合わせて、彼女は今にも泣きそうな顔でこう言ったー「どうか、チベットの現状、難民の思いを世界の人々に伝えて下さい」

自分に何が出来るか分からない。しかし、以前と同様、出来ることを淡々と確実にこなしていくだけだ。もとより、マスコミ(TV局)の協力など当てにしていない。マスコミ(特に、TV)では、「チベット問題」は今でもタブーなのだ(マスコミの状況等については拙者公式サイトにて:www.10system.com)。

善意と意志のある方々の輪が広がり、それが一つの「力」となって「チベット問題」の解決への囁かであっても確かな礎になることを願ってやみません。

I'll surely do my best from now on.

拙文にお付き合い頂き有り難うございました。

今後とも宜しくお願いします。

Take care!

テーマ:チベット - ジャンル:海外情報

【2007/05/23 22:51】 | チベット問題 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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