『非暴力と権力』
Oct. 26, 2007

Dalai Lama in US (3)

10月17日、チベット難民支援の最大組織、アメリカのNGO・インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット(ICT)よりメールが入った。ダライ・ラマへの勲章授与関連のウェブ放送の案内だ。

この度、米国議会よりダライ・ラマに勲章が授与された。平和・非暴力・人権・宗教の分野での顕著な貢献を評価してのものだという。なるほど。ワシントンは祝賀ムード一杯だ。だが待て、何かおかしくはないか?

「9.11」以降特に、ブッシュをリーダーに世界中に凄まじい「暴力」をまき散らしているアメリカ政府とそれを基本的に容認してきた議会が”非暴力の僧侶”にメダルを授与するという“構図”。つまり、「暴力」から「非暴力」へのメダル授与。おかしくはないか?

それにしても、何故、今頃、この時期に勲章授与なのか? ダライ・ラマのノーベル平和賞受賞(1989年)から既に18年が経過しているのだ。与える機会は以前にも幾らでもあったろう。「9.11」以降の武力政策の大失態を覆い隠す意図があるのではと勘ぐりたくもなる。いや、それが真相だろう。またしても大国の思惑に翻弄されるチベット。歴史は繰り返す。

Dalai Lama in US (1)

さて、今回の様なケース、ダライ・ラマの尊敬するガンジーならどうしたろう。彼の言動から察するに、絶対に受けないはずだ。無論、政治が奇麗ごとではないことは十分承知している。アメリカはチベット難民受け入れの最大国。ダライ・ラマの信奉者である俳優のリチャード・ギアを初め著名人のサポーターも数多い。それに、やはり、現在、中国と対等に交渉出来るのはアメリカしかいない。期待するのも無理はない。だから、仮に嫌でも、アメリカの顔を立てて勲章を貰うしかないのだろう。

だが、それでもだ、ダライ・ラマは慎んで勲章を辞退するべきだった。何故かー

先の記事(『ダライ・ラマ回想(5)』)にも書いたが、チベット難民が「チベット問題」解決 或は チベット解放の手段として唯一使えるのは「非暴力」だ。その理念と手法こそが彼らの闘争の「生命線」。それを蔑ろにする如何なる言動も彼らの「闘争」の存続を危うくさせ、結果、全てを失わせる

考えても見よ、アメリカは政権ごとに「チベット問題」の特使を設けているが、今まで、何の結果も出していない。つまり、中国との経済協力の促進をからも分かるように、「特使」の真相はアメリカお得意の”ダブルスタンダード”に拠る対外的なある種のポーズに過ぎない。故に、一部メディアが今回の一件でアメリカと中国の関係が悪化するかもしれないと報じているが、全くの見当違い。アメリカが中国との外交の場で「チベット問題」を真剣に持ち出すことなど考えられない。

一方、“テロ戦争”の名の下にアメリカ軍に殺戮蹂躙されたアフガニスタンやイラクの一般市民は、ダライ・ラマがブッシュと式典に同席し叙勲を受けた事実をどう感じたろうか。「非暴力」に基づく平和を心底希求しチベット難民を真に応援する人々は今回の事実に失望したに違いない。「全てを失わせる」とはどういう意味かお分かり頂けるだろう。

しかし、受賞演説の中でダライ・ラマはこう語ったー「この勲章受賞は平和と相互理解のために尽力している多くの人々に大きな希望を与えるだろう」更に御丁寧にも、ブッシュに向けて、「あなたのチベットに対するご同情、ご支援、そして、宗教の自由と民主主義の大義を守る断固たる姿勢に深く感謝します」

ガンジーは身を持って示したー「非暴力」は権力に屈しない「不服従」の行動を伴って初めて効力を発揮するものだと。彼は、1937年から1948年にかけての計5回、ノーベル平和賞の候補に挙がるも固辞している。ノーベル賞でさえ辞退しているのだ。権力や特権というものの本質的な危うさや不確かさを熟知されていたからだろう。

非暴力の抵抗者は、甘い約束事に騙されるようなことはないだろう。また、第三者の助けを借りて、英国の軛から解放されることを求めたりはしない。彼らは自らの闘いの方法に絶対的な信念を持ち、他の方法を顧みることはない。」ガンジーの言葉が重く響く。

ダライ・ラマが勲章を受けたことは、明らかに権力に屈した行為だ。そこに、真の「非暴力」は存在しない。

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「僧侶にはメダルなんて似合わないし、貰うべきではない...」。普段はダライ・ラマを信奉しているモンゴル人の友人が残念そうに言った(モンゴル人の多くがチベット仏教徒)。もっともだ。政治や権力を遥かに凌駕する「法(ダルマ)」を説く者に如何なる勲章も必要ない。教育機関や平和活動をするNGO等ならまだしも、政治権力(国家権力)からのメダル(勲章)など言語道断。

ダライ・ラマには「法(ダルマ)」という“勲章”のみで十分なはず。そして、ブッダの教えに即したその毅然とした態度こそが、世界中の多くの虐げられている者たちに希望と勇気とを与え、本当の難民サポーターを呼び、「チベット問題」を解決へと導くのだと私は確信している。

古代ローマの哲人・セネカはこう言っているー

どの港を目指して航海しているかを分かっていなければ、どんな風も追い風とはならない

今のままでは、チベット難民、更にはチベットへの本当の意味での“良き風”は決して吹かないだろう。

今回の一件にも中国政府は表向きには激怒している。しかし、その実、「ダライ・ラマは本物の宗教者ではない」との彼らのいつもの主張を勢いづかせる口実を得て、内心喜んでいるのではないか。

そして、チベットの中国化は着々と進行する。

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ウェブビデオの中で、サンバイザーを被ったダライ・ラマが集まった観衆に和やかにスピーチをしている。「非暴力が大切です」。 他方、リチャード・ギアは明らかに高揚しはしゃいでいる。「9.11」後のブッシュの武力政策を彼は厳しく非難していたはずだが、今回の「勲章」には何の違和感もない様だ。「皆さん、2年以内にラサ(チベットの都)で会いましょう!」 ギアの上ずった声が、少なくとも私には空しく響いた。

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【2007/10/26 05:51】 | ダライ・ラマ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ダライ・ラマ 回想(6)
July 7, 2007 (The Star Festival: wish on a star!)

Dalai-Lama(6).jpg

(『ダライ・ラマ 回想(5)』より続き)

再度言う。ダライ・ラマを「裸の王様」にしてはならない。
タブーにしてはならない。

仏教徒のあるべき姿勢を、ダライ・ラマは常々こう語っているー

「盲信してはならない。対象を十分に吟味・検討した上で信じるか否かを判断する必要がある」

これは、いわゆる「科学的アプローチ」と同意だ。その根底には冷静な批判精神がある。(以前読んだ本の中で、敬愛する故カール・セーガン博士〈天文学者〉も健全な批判精神を伴う科学的アプローチの重要性を繰り返し説いていた。)

信仰とは、時折、絶対的な帰依(すなわち、絶対服従)を要求する。それは、「真理(=解脱、悟り)」にたどり着くための信仰の、ある種、重要な側面なのかもしれない。しかし、「オウム事件」を出すまでもなく、人類の歴史を概観すれば、それを俗で利己的な人間たち或は宗教団体が人間(信者)を支配・コントロールするために都合良く利用してきたという悪しき面ばかりが目につく。

無批判な「盲信(=絶対服従)」の危険性を最も熟知している一人がダライ・ラマその人なのだ。そして、「盲信」の危険性はダライ・ラマ自身に対しても例外であってはならない。それが、仏教徒たるダライ・ラマに対する真に誠実な態度と言えるだろうし、チベット難民のチベットを真に解放するという「大義」を側面からサポートすることに繋がると信じて疑わない。

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さて、ダライ・ラマが引退宣言し、「チベット問題」が未だ停滞したままで今後も長期化が予想される中、チベット難民、サポーターは今後何をしていくべきなのだろうか。

キー(軸)となるのは、ダライ・ラマ自身も切望する、政教分離し近代化及び民主化されたチベット(人)社会の創設だろう。その新たな「難民社会」が「チベット問題」を解決して行く上で中国政府と対峙・交渉する“母体”となっていく。

そこで、先ず取り組まねばならないのは、高い専門性とリーダーシップとを兼ね備えた若い人材の育成・登用だ。

そのことに関して、99年のインタビューの際にツェワン・テソン氏(当時、亡命政府外相)は示唆している。

「『チベット問題』や難民にマスコミや世界の人々は関心を示してくれてはいるが、その大半は、ダライ・ラマ個人に対する関心からだと認めざる負えない。世界では色々な問題が次から次へと目まぐるしく起こっている。だから、ダライ・ラマが退けば、『チベット問題』が世界の関心を失う可能性は非常に高い。このことを難民の若い世代は良く理解し、難民コミュニティーを支え、『チベット問題』に対する責務を自覚し果たして行かねばならない」

チベット難民をサポートするあるアメリカのNGOはこの重要性を良く認識しており、セレクトしたチベット難民の若者たち(一般人)をリーダーとして養成する”リーダーシップ・プログラム”を世界各地で行っている。

伝統・慣習を相対化・客観視でき高い専門性を有する一般人である「彼ら(彼女ら)」が“主役”となり、今後、難民コミュニティーをまとめ導いて行く必要がある。 一方、“特権階級”の末裔が大半を占め、完全に政教分離されていない「チベット亡命政府」は一度解体し再編成するのが望ましい。つまり、改革だ。正に、「中世」から「近代(現代)」への脱皮に相違ない。

日本のサポートグループもそのアメリカの「プログラム」を大いに参考にすると良い。年に一度デモを組織しスローガンを叫んだり、難民に衣服等の物資を送ることを否定はしない。それも必要だろう。だが、「チベット難民」はつい最近発生した“戦争・紛争難民”とは訳が違うことは理解されているのだろうか。

ダライ・ラマがインドへ亡命してから約50年が経過し、難民コミュニティーが世界各地に作られている(中には商売で成功したリッチな連中もいて、そのことが、貧しい地元民との軋轢を生んだりもしている)。他の難民(アフガン、アフリカ、イラクなど)とは、状況、性質共に違うのだ。故に、サポートの方法も自ずと異なってこよう。このことを再度十分に認識してもらいたい。

プラス、「中国政府」という強大且つ狡猾な相手と対峙している状況とを再認識した上で、行く先(未来)を見据えたサポートを考えてもらいたいのだ。換言すれば、サポート運動の段階的レベルアップが必要ということ。同じ様なことばかりして自己満足していてはだめだ。あなた方はもっと出来る。再度、先述の米のNGOの「サポートプログラム」を参考にして頂きたい。

チベット難民を留学生として日本の大学で学ばせる。或は、日本企業で「企業研修」という形で専門知識・技能を修得させる("on the job training")など、将来を見据えた具体的なサポートの有り様は幾らでも考えつく。後は実行のみだ。「チベット、法王様(ダライ・ラマ)大好き。難民を助けたい!」と言っている裕福な御夫人や著名な芸能人の方々、そして、会社の重役の方々、是非、率先して力を貸して頂けませんか?

日本に課された役割の一つとして、「チベットと中国の橋渡し」も重要だ。

日本は両者共に歴史的・文化的な深い繋がりがある。本来、欧米に先んじて、日本が両者の仲介役とならねばならないはずだ。

「チベット問題を考える議員連盟」というものがある。これまで実質的な働きは何もしていないが、是非、この橋渡し役を中心になって担って頂きたい。先ずは、「チベット難民」と「中国知識人・民主活動家」が公の場で話し合える会(シンポジウム)を日本で催して欲しい。これは、日本の幅広い層に「チベット問題」を認識して頂く上でも急務だといえる。

余談だが、枝野幸男衆議院議員(民主党)が2005年に「議連」の新代表に就任したそうだ。前任の牧野聖修氏(民主党)の落選が理由らしい。はて、枝野氏は「チベット問題」の内実(歴史背景、文化、民族など)の基礎知識をお持ちなのだろうか。今まで、この問題で彼の名前を聞いたことがない。付け焼き刃な人事でなければ良いのだが...

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「私は一介の僧侶に過ぎない...政治的な役割を終え、仏道修行に専念したい」

ダライ・ラマは幾度となくその偽らざる気持ちを吐露してきた。ダライ・ラマとしての人生の残された時間はそう長いことではあるまい。この辺りで、一般の難民達が共同してその政治的な役割を引き継ぎ、ダライ・ラマの真摯な望みを叶えてあげるべきだろう。

チベット仏教ナンバー3、弱冠22歳のカルマパ17世にダライ・ラマの役割を引き継ぐことを期待する向きもあるが、全くお門違いだ。彼は何のために危険を冒して中国を逃れ2000年にインドへと亡命したのか。中国では抑圧されていた仏道修行を自由に行うためだろう。政治ではない。それに、彼が引き継げば、ダライ・ラマの目指す「政教分離」は出来なくなる。またしても整合性の破綻になってしまう。

ダライ・ラマには若いカルマパと共に、政治的なしがらみから離れて、自由にのびのびとチベット仏教の保持・普及のために活動して頂こう。更に、ダライ・ラマには大きな使命が残されている。言うまでもなく、「非暴力」を世界に広めることだ。これこそが、ダライ・ラマとして今生を生きる主たる目的であると信じる。この本来の活動が、意図せずして「チベット問題」解決への世界のサポートを増やすことになるはず。

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そして、我々だ。全ては我々に託された。「チベット問題」を巡る本当の「闘い」はこれからだ。それは、我々一人一人の人間としての意志と本質(本性)が試される「闘い」でもある。

ダライ・ラマの「引退宣言」は、どこか、ブッダが臨終の際に弟子のアーナンダに説いた「自灯明 法灯明」の教えのようではないか。

「この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」

今こそ、各々が責任感と自覚とを持ち、「チベット問題」の解決に向けて、そして「非暴力」を世界に拡大させて行くために、一人一人が「ダライ・ラマ」と成るべき時なのではないか。

私は、ダライ・ラマの「引退宣言」をそういうメッセージとして捉えている。

I do thank the Dalai Lama for his activities.

What will you do?

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【2007/07/07 19:26】 | ダライ・ラマ | トラックバック(1) | コメント(1) | page top↑
ダライ・ラマ回想(5)
Jun. 25, 2007

Dalai-Lama(closeup3).jpg

(『ダライ・ラマ 回想(4)』より続き)

2003年9月、ダライ・ラマに対する「不信・失望感」が更に強まる出来事が起こった。

ブッシュ大統領を訪問の際、こともあろうに、「旧友に御会いしたようだ。彼はチベット人へ心から関心と同情を寄せてくれている」とダライ・ラマは記者団に話したのだ。半年前、ブッシュは国連の勧告を無視し「イラク戦争」へと突き進んだ。9月の段階で、あるイラクの政治グループの調査によれば、既に民間人の犠牲者は3万人以上。市街地を舞台に戦闘が激しさを増す中、更なる市民の犠牲が懸念されていた。

そんな状況の中、「非暴力」を標榜する者が、暴力の権化の様な男に会い「旧友」などと言うことがあり得るだろうか。ダライ・ラマの影響力と責任を考えれば、外交上の単なるリップサービスでは済まされない。この“カウボーイ”男(=ブッシュ)の指示による戦闘で一般の罪なき人々が殺されているのだ。何たる体たらく。完全に整合性が破綻している。

多くのチベット難民を受け入れ、公には、アメリカはチベット難民の最大の支援国で通っている。しかし、アメリカは中国と経済協力を押し進めていることからも明白な様に、お得意のダブルスタンダードがことの真相。チベットの歴史を振り返れば、それは大国に翻弄され続けた歴史であることが分かる。隣国モンゴル、中国、列強イギリス、ロシアなど。現在、同じことが繰り返されているように感じるのは私だけではあるまい。

「非暴力&対話」は、ダライ・ラマのみならずチベットの大義のために闘うチベット難民全ての絶対に譲れない生命線でありエッセンスなのではないのか。それを放棄する様な言動は自らを否定することであり、ひいては、チベット難民に対する不信感を生み世界のサポートを失うことになるのではないのか。

ダライ・ラマを中心とするチベット難民が亡命政府を樹立してから40年以上になるが、未だにどの国も正式にその政府をチベットの代表であると認めていない。「チベット問題」の解決の糸口さえ見えない。一方、「東ティモール」は遂に2002年に独立を果たした。

この現状を生んでいる要因の一つが、88年の独立放棄政策への転換、そして今回の様な軽率な言動などに見られる「整合性の欠如」にあると思えてならない。(99年にインタビューしたチベットを代表する作家・ジャムヤン・ノルブもダライ・ラマの「政策の不整合」を厳しく問い質している。)

ダライ・ラマはガンディーを尊敬している。ご承知の通り、ガンディーは「非暴力」によりインドの独立を果たした。しかし、ガンディーの「非暴力」とは「不服従」とのセットであった。ここが、ダライ・ラマの「非暴力」との大きな違いだと私は感じている。ダライ・ラマは「権力」に服従してしまっている。これでは、「非暴力」は効力を発揮しない”絵に描いた餅”に過ぎない。ガンディーがインドの大衆のみならず世界の人々の共感を得た最大の要因は、「非暴力」思想が身を挺した「不服従」の行動にしっかりと支えられていたからだ。

私は完全に失望した。信じていた者に裏切られた様に狼狽えた。他方、“特権階級”の流れをくむ亡命政府の役人たちや”チベットサポーター”と呼ばれる人々は、決して、ダライ・ラマを批判したりはしない。相変わらず、彼らにとって、ダライ・ラマは“大看板(”大広告塔“)”であり絶対的な「法王様」なのだ。

この光景は何かに少し似ていないか。そうだ、『裸の王様』(アンデルセン童話)だ。本当に、真に、ダライ・ラマを敬いサポートしたいのであれば、決して、彼を「裸の王様」にしてはならない。

「王様は裸だ!」と勇気を持って言わねばならないのだ。

(『ダライ・ラマ回想(6)』へ続く)

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【2007/06/25 00:26】 | ダライ・ラマ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ダライ・ラマ回想(4)
Jun. 24, 2007

Dalai-Lama2007.jpg

(『ダライ・ラマ 回想(3)』より続き)

だが、当然のことながら、人間の意識・体質はそう簡単には変わらないものだ。

ダライ・ラマが倒れたことで、難民コミュニティーにはかなりの動揺が広がっていた。チベットから逃れてきた人々(特に中年以上)にとって、宗教(チベット仏教)は生活の中心であり、ダライ・ラマはやはり絶対的唯一無二の存在なのだ。一方、インドなど他国で生まれ西洋的な教育を受けて育った若い世代(少なくとも友人達)は比較的冷静に今回の一件を受け止めていた。彼らはチベット仏教やダライ・ラマという存在を相対化し客観視できる。

「チベット仏教は素晴らしいものだが、仏教本来の教えに反する伝統やシステムもある」と難民コミュニティーで医師として働く若者は以前そう語っていた。「宗教的な盲目さは我々チベット人の特徴であり弱さでもある」と話す若者もいた。

ダライ・ラマも、実は、このことを良くお分かりになっており、私見としながらも「ダライ・ラマ制度は無くなっても構わない」「将来のチベット(人)社会は昔とは異なり、政教分離した(イギリスの様な)議会制民主主義が望ましい」としている。近年、チベット亡命政府の首相を選出する選挙が難民コミュニティー内で行われたが、結局、選ばれたのは著名な高僧(サンドン・リンポチェ)だった。ダライ・ラマの理念や真意が難民たちの間で理解され浸透していくのは、次世代がコミュニティーの中心になってからかもしれない。

一方、“チベットサポーター”も相変わらずだ。ダライ・ラマの絶対視は自ずと無批判なチベット社会の理想化に繋がる。つまり、チベットは古来シャングリラ(理想郷)で、それを極悪非道な中国(人)(漢族)が破壊したという単純で安直な図式だ。

残念ながら、ことはそんな単純ではない。チベットが、サポーターたちが描く様な“理想郷”ではなかったことは様々な文献・手記より明白。中世的な大僧院の間の権力闘争、特権階級の贅沢な暮らしと庶民の極貧状態、近代化を進めようとする若者達の政府による追放など、鎖国時代のチベットに潜入した日本人の一人である木村肥佐生氏も『チベット潜行十年』の中で述べているとおり。実際、我々の社会と何ら変わりのない普通の人間の社会なのだ。その(中世的な)“因習”は現在もチベット難民社会に残存している。

チベット及びチベット難民を本気でサポートしようとする者は、中国政府(中国人ではない。政府の方針・政策と一般の中国人とを一緒くたにして批判・非難する“サポーター”がいるが、非論理的且つ非理性的で全く馬鹿げている)の悪行を非難するだけではなく、チベット人社会の“闇”の部分をも凝視しなければならない。ステレオタイプの様な安易な理想化は、結局、チベット人のためにならないことを今一度良く考えてみようー「良薬口に苦し」だ。

しかし、だからといって、諸外国及び国連より独立を認められていたチベットに対する中国政府の侵攻・統治へ理解を示し批判を緩めることなどいささかも出来はしない。

チベット社会の改善・進歩は、あくまで、その住民たるチベット人に委ねられねばならない。

中国政府統治後のチベッの惨状については、親中派であり全国人民代表大会常務副委員長を勤めたパンチェン・ラマ10世(ダライ・ラマに次ぐチベット仏教ナンバー2)でさえ、『7万語の請願書』の中で「チベットは過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価を払った」と政府に訴えねばならなかったほどだ。ちなみに、胡耀邦総書記(当時)もその惨状に驚愕し、責任者達を厳しく処罰しチベット政策の大幅な見直しをさせた。(中国のチベット政策については拙者のHP等を御参考下さい)

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話を“チベットサポーター”に戻そう。

ダライ・ラマを絶対視しチベットを理想化する姿勢の中には、中国や中国人に対する激烈な批判はあっても、「身内」(つまりチベット人側)が抱える「問題」への指摘は決して無い。

2001年9月11日、アメリカで「同時多発テロ」が発生。ブッシュ大統領はここぞとばかりに武力による”対テロ戦争”をぶち上げ、アフガニスタン戦争へと突入する。ダライ・ラマは訪日時(2000年)の講演で「20世紀は”流血の世紀”だったが、21世紀は”対話の世紀”になるでしょう」と楽観視していたが、最初からその予想は脆くも覆された。アメリカと中東を中心に「暴力の連鎖」が世界に拡大することは明らかだった。「非暴力と対話」の大切さを標榜しているダライ・ラマの正に真価が問われる局面だと思った。

私は心密かに期待した。「きっと、ハンガーストライキ、或は、長期の瞑想により、世界のこの危機的状況に警鐘をならしてくれるに違いない」

しかし、ダライ・ラマがしたのは、「暴力に訴えないで、対話により解決して欲しい」というメッセージのみだった。拍子抜けだ。「暴力はまずい。話し合わなければ」などとは、その辺のおばさん(失礼!)でも言える。ダライ・ラマにしか出来ないインパクトのある行動を今こそとるべき時ではないのか。私は、その憤りを、チベット亡命政府東京事務所に勤めていた親友にぶつけた。「田中さんの言うことは十分に分かる。しかし、法王様(ダライ・ラマ)にもお考えが・・・」と、いかにも歯切れが悪い。

チベット人やサポーターが言う様に、ダライ・ラマは"活仏"で、我々凡人どもには計り知れないのかもしれない。だが、我々が肉体という厄介なものをまとっている以上、この塵芥にまみれた「俗界」から逃れることは出来ない。それは、ダライ・ラマとて同じこと。

この「俗界」を少しでもまともな状態にするために、「非暴力&対話」をダライ・ラマは唱えているのではないのか。だとしたら、まさしく身(肉体)を挺して、俗人である誰もが真に共感する形で訴えるべきではないのか。ダライ・ラマがハンガーストライキをすれば、世界中の多くの者が「非暴力」を守るために一斉に立ち上がるだろう。

単なる「言葉」では人は動かない。人心を奮わせ人々を行動へと導くのは「行動」だ。「特別な人」の特別な行動が今こそ必要とされていた。

「ただ、チベット人達のリーダーである彼の責務と年齢(当時66歳)とを熟慮すれば、身体的な無理は出来ないのかもしれないな」とダライ・ラマへの失望と不信感とを収めようとしてはみたが、完全には払拭されなかった。

(『ダライ・ラマ回想(5)』へ続く)



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【2007/06/24 02:10】 | ダライ・ラマ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ダライ・ラマ回想(3)
Jun. 16, 2007

dalai-lama-ikari.jpg

(『ダライ・ラマ回想(2)』より続き)

翌2000年、ダライ・ラマは初めて教育機関(京都精華大学)の要請を受けての訪日を果たす(それまでの招聘元は宗教団体)。いつもと同様、ダライ・ラマの外国訪問を阻止しようと中国政府は躍起になり、招聘元に圧力をかけてきた。しかし、若い大学スタッフが果敢にこれを凌ぎことなきを得る。「環境と人間」に関する講義、シンポジウム、心身障患者との交流等、約2週間の滞日は中身の濃い勢力的なものだった。(この訪日の映像記録を後に制作することになった:『ダライ・ラマー21世紀への提言』)。

東京の宿泊先のホテルで再会を果たす。驚いたことに、昨年のインタビューのことを事細かに覚えていて下さった。彼の秘書官によれば、1959年、インドに亡命した際にインタビューを受けたインド人ジャーナリストのことを、数十年後に再会した際もその時の状況などもふまえ詳細に覚えていたという。ダライ・ラマの記憶の良さは“伝説”らしい。

******************

二年後、2002年、私はブッダガヤ(インド)にいた。チベット仏教の最も重要な儀式の一つ・「カーラチャクラ・イニシエーション」の取材だ。釈尊(ブッダ)成道の地でダライ・ラマによりその儀式が17年ぶりに執り行われると聞き、準備もそこそこに飛んできた。小さなブッダガヤの町はインド、ネパールのみならず世界各地からのチベット難民、チベット系民族、チベット仏教信者、欧米のバックパッカーなどでごった返していた。何と、中国国内のチベットからも大勢来ていた。ものすごい土埃で前が霞んで見えない。「100万人ぐらい居るんじゃないの!」ダラムサーラから来ていた友人は口を抑えて呆れている。

儀式初日。四方を壁で仕切られた儀式会場には、集まった人々の熱気が砂塵と共に激しく舞い上がっている。視線は壇上の“玉座”に注がれて微動だにしない。無論、そこに座るのはダライ・ラマ。間もなく、チベットのトランペットのけたたましい音と共にダライ・ラマが登場した。「?」、いつもと様子が少し違う。顔が青白い。いつもの快活さが無い。どうしたのか?体調の悪さは説法を初めて直ぐに明らかになった。声の張りが全くないのだ。深刻なのだろうか...

説法は早々に切り上げられ、別の僧侶が引き継いだ。

結局、ダライ・ラマはムンバイの病院に搬送されることになった。体調不良をおして、儀式に先立って史跡巡礼を強行したことが悪かったらしい。ダライ・ラマも既に66歳(当時)。過密スケジュールが過ぎた。

”支柱”を失って、チベット亡命政府の役人達は明らかに狼狽えていた。ダライ・ラマが重要な儀式をキャンセルするなど前代未聞の事態。儀式のためにダライ・ラマに同行していた知人の若い僧侶もさぞかし慌てているだろう。

「大変なことになったな」

しかし、彼は私の声を制止する様にはっきりと言った。

「ダライ・ラマが不在でも全く問題はない」

嬉しかった。本当に嬉しかった。その言葉こそ、正に聞きたかった言葉だった。チベット難民に関するドキュメンタリー第一弾として製作した『チベット難民ー世代を超えた闘い』のテーマ、メッセージは、ダライ・ラマという存在に頼らずに奮起して自ら立ち上がる一般の難民たち、特に若い世代のアクション、即ち、イニシアチブである。それこそが、彼らの「大義(=チベットの真の解放)」の実現に繋がると信じるが故だ。

若き僧侶たちは、ダライ・ラマの代わりの高僧と共に、無事、儀式を執り行った。

しかし、ダライ・ラマが不在になったことで、役人達は大いに動揺し、“ダライ・ラマフリーク”である大多数の外国人達はそそくさと会場を去って行った。

その光景に、「チベット難民」や「チベット問題」を取り巻く状況が露呈していた。

この「事件」が、ダライ・ラマを絶対視し極度に依存するチベット難民やいわゆる”チベット サポーター(支援者)”の意識・体質を変える切っ掛けとなるのだろうか。

(『ダライ・ラマ回想 (4)』へ続く)

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