劉暁波氏の遺志は死せず
July 20, 2017

Liu Xiaobo3

中国人ノーベル平和賞受賞者、作家、人権活動家の劉暁波氏が、今月13日、多臓器不全のため中国当局の監視下で亡くなった。未だ61歳・・・。国家政権転覆扇動罪で懲役11年の刑に処され服役していたが、先月、刑務所から病院に移送された際には既に末期の肝臓ガンの状態。「『(中国当局によるこの移送の処置は)少しでも内外の批判を和らげるためだった』(日本政府高官)という見方が強い」(時事)との報道等が示唆し、米国に亡命中の中国人人権活動家や米下院議員が冷静かつ厳しく指摘しているように、独裁政権にとって”危険な邪魔者”である劉氏を中国指導部は「意図的に殺害した」が真相だろう。1989年の天安門広場における中国の民主化を求めるデモ(「天安門事件」)において、劉氏はコロンビア大学の客員研究員として滞在していた米国より駆けつけ、学生らが組織するハンガーストライキに加わり指揮を執った。デモの主要なリーダーの一人となったのだ。当時、行動を共にしていた関係者によれば、劉氏は銃や棒などの武器を用いようとする学生たちを戒め、「恨みを捨てよう。恨みは私たちの心をむしばむ。私たちに敵はいない。理性的に対話しよう。」と訴え続けたという。事件後、同世代、後進の世代の多くが、代償が重すぎると判断し民主化を諦め体制に参加する中でも、彼は国内に留まり一貫して民主化を要求し続けた。本来、文芸評論家であり、文学や詩を愛し「政治は好きではなく、苦手」だった氏が民主化運動に関わり続けた思いの中には、天安門事件で犠牲になった多数の学生に対する責任感があった。「誰かがやらねばならない」。結果、当局により厳しい制約を受けることとなり、再三にわたり、投獄、拘留された。それでも、劉氏の金剛の如き固い決意は決して揺らがなかった。それはあたかも、ガンディーのごとく・・・真の非暴力主義の実践者の姿がそこにはあった。反体制者として生きることについて、劉氏はこう述べている。「”地獄“に行くと決めたら、暗いと文句を言わない。”反抗者“として歩み始めたら、『世界は不公平だ』と嘆かない」。
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劉氏の悲しき死が海外でのある貴重な体験を再び思い出させた。87年夏、私は約二ヶ月をかけて中国及びチベットを一人旅した。初めて目にする広大な風景、神秘的な文化遺跡、多様な民族や珍味の数々にたちまち虜になった。しかし、最も心を動かされたのは、たまたま北京駅前で出会い親しくなった漢民族の鉄道員との会話だった。多くの年月が過ぎ去った今でも鮮明に覚えている。彼の部屋で筆談で身の上話をしながら談笑していた時、突然、彼の表情が曇り、思い詰めたように何かを書き連ねていく。小さな紙片は漢字で埋め尽くされた。彼はゆっくりと一字一字指差しながら「分かるか?」と訊いてくる。見憶えのある漢字を頭の中で繋げながら見えてきたのは、「中国共産党の腐敗、非道」だった。私はその旨を書いた。それを見て彼は頷き、「中国社会のこの酷い状況を日本で伝えてくれ」と単なる大学生に過ぎない私に強く訴えてきた。話を終えた後、その”告発状”を誰の目にも触れないよう彼は細かく刻んでゴミ箱に捨てたのだ・・・そして二年後、先の天安門広場における民主化デモが起こった。前述の旅の翌年、ネパールのチベット難民コミュニティを訪問し、チベット族の中国政府に対する深い憤りも理解していた私は、この民衆によるデモは起こるべくして起こった大きなうねりだと打ち震え、民主化が実現してほしいと切に願った。だが、その結末は当局による武力弾圧(虐殺)という悲劇に終わってしまった・・・
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劉暁波氏の死後も、中国当局は彼に関する情報を引き続き厳しく検閲し規制している。インターネットも例外ではない。こうして、 国内の殆どの中国人は彼の存在すら知らず、知っていたとしてもせいぜい欧米に影響受けた“罪人”というイメージだ。自分たちにとって不都合な存在はあらゆる不当な手段を使って徹底的に潰す — これは、古今東西変わらぬ独裁政権の本性だ。このまま民主化されなければ、エゴの肥大化した権力者やその追従者らにより巨大な軍事・警察力を有する超大国が恣意的に運営され続けていくことになる。この状況は、良識ある中国人、(中国内の)少数民族のみならず、人類の将来にとっても大いなる脅威だ。私は99年にインドにおいてダライ・ラマ14世に単独インタビューしたが、彼も中国の民主化を強く望んでいた。「私たちチベット人同様、中国人の多くは民主化を望んでいます。中国が民主化されれば、日本を含む近隣諸国も大きな恩恵を受けるでしょう。『チベット問題』の解決も中国の民主化の延長線上にあるのです」。劉氏も日本の新聞社とのインタビューの中でダライ・ラマと同様の見解を示し「中国の人権・民主化問題に声を上げることこそ日本の国益になる」と仰っていた。2010年、劉氏はノーベル平和賞を受賞。ノルウェー・ノーベル委員会は、長きに渡る中国における基本的人権を求める非暴力の闘いを称えた。当然のごとく中国当局は氏のノルウェーへの渡航を許さず、授賞式出席は叶わず獄中での受賞となった。「この受賞は天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と、劉氏は涙を流したそうだ。空席となった受賞者席が置かれた式典では、前年、自らの裁判審理で読み上げるために記した陳述書「私には敵はいない──私の最後の陳述」が代読された。文章には、劉氏の中国の民主化への熱い思いが込められている。

「私は望んでいる。私の国が表現の自由がある場所となることを。全ての国民の発言が同等に扱われるようになることを。そこでは異なる価値観、思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、平和的に共存できる。多数意見と少数意見が平等に保障され、特に権力者と異なる政治的見解も、十分に尊重され、保護される。そこではあらゆる政治的見解が太陽の光の下で民衆に選ばれ、全ての国民が何も恐れず、政治的意見を発表し、異なる見解によって迫害を受けたりしない。」

長年の苦難にめげず、献身的に夫を支え続けた妻にかけた死に際の言葉は「あなたはしっかり生きなさい」「幸せに暮らして」だった・・・国連、ノーベル委員会、国際人権団体のみならず、各国の首脳からも劉氏の死を悼むメッセージが届いている。「人権と言論の自由を求め立ち上がった勇敢なる闘士の死を深く悼む」(アンゲル・メルケル独首相)。

劉暁波氏の遺志は決して死に絶えはしない。その尊き精神は益々輝きを放っている。

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(NOTE)
劉暁波(Wikipedia)
劉暁波氏―中国が消せなかった人
劉暁波 ノーベル平和賞受賞スピーチ全文
劉暁波の苦難は自業自得?反体制派が冷笑を浴びる国
死の淵に立っても劉暁波を容赦しない「人でなし」共産党:https://g獄中の劉暁波が妻に送った「愛の詩」
劉暁波さん、中国と世界に永遠の遺産を残した人権の巨人

Liu Xiaobo(Wikipedia)
Liu Xiaobo: “China's most prominent dissident dies”:
Liu Xiaobo: The man China couldn't erase
Liu Xiaobo, Nobel laureate and political prisoner, dies at 61 in Chinese custody
Liu Xiaobo: In his own words
Liu Xiaobo - Nobel Lecture
Liu Xiaobo: A man who spoke truth to power
Malala Yousafzai condemns China over treatment of Liu Xiaobo

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【2017/07/20 10:55】 | ヒマラヤ世界 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ヒマラヤ・アウェアネス・チャンネル特集:”カシミール紛争”
October 21, 2016

Kashmir issue

ヒマラヤ・アウェアネス・チャンネル「2016年秋号」の特集として、ヒマラヤ地域北西部に位置するカシミール地方(最高級毛織物カシミアの語源の地)を巡る大国(インド・パキスタン・中国)の争い、“カシミール紛争”を取り上げました。

日本では余り知られていませんが、この紛争は1947年に始まり、約70年にも及ぶ世界で最も長期にわたるものなのです。今年に入り、カシミールの地元民とインド治安部隊との衝突が再激化。また、インド軍の基地が武装勢力に襲撃され、その事件を巡り核保有国のインドとパキスタンとの関係が悪化しています。改めて、この機に、忘れられがちな最も長い年月に及ぶこの紛争を考えてみたいと思います。

大学時代、私(ヒマラヤ・アーカイブ・ジャパン代表)はインド・パキスタンを一人旅した際、パキスタン側のカシミールを訪れました。パキスタン北部の都市ラワールピンディーから地元の乗り合いバスでヒマラヤ山中のギルギットへ向けて出発。険しい山中に造られたガタガタの隘路を、リクライニング機能などないローカルバスはゆっくりと進んでいきます。地元の厳つい男衆に挟まれて窮屈に座っている私の体は絶えず上下左右にピョンピョンと飛び跳ね、背中とお尻の痛みが拷問にかけられたかの如く増していきました・・・走り始めて10時間以上、月光に高き山々のシルエットが不気味に浮かんでいます。疲労困憊で意識が遠ざかり始めた頃、バスが突然止まりました。「こんな山中でトイレ休憩か?」いや、様子が違います。車外には大きなテントが・・・すると、軍人と思しき迷彩服を着た男が車内に入ってきて、テントに向かうように促されました。中に入ると、別の軍人からパスポート提示の要求があり、ピンときました。「そうか、ここは身分確認のための軍の検問所なのか」。 長年の紛争地、カシミールに入ったことを思いしらされた一件でした。さて、カシミールは噂に違わぬ素晴らしい所でした。 荒々しく天空へと屹立する岩峰群、朝日に激しく燃え上がる世界第9位の高峰ナンガパルパットの雄姿等、素晴らしい風景を満喫しました。

このような豊かな自然と文化とを有する美しき地が長期にわたる紛争地であるという悲しき現実。宗教的な差異等を超えて、インドとパキスタンとの融和が促進することを願ってやみません。最後に、カシミール地方の人々に世代を超えて深く信仰されているスーフィズの偉大なる詩人ルーミーの詩の一編をご紹介します:

「ただひとつの息」

私はキリスト教徒ではない
ユダヤ教徒ではない
イスラム教徒でもない

私はヒンズー教徒ではない
スーフィーではない
禅の修行者ではない
どんな宗教にもどんな文化にも属していない
東から来たのではない 西から来たものではない
海や大地から生まれたものではない 天界から来たものではない
何かの要素からできているものでもない

この世やあの世に存在するものではない
アダムとイブのような太古の物語と関係はない
いいえ わたしは何者でもない

居場所は定まらない
跡を残すことはない
いいえ わたしは身体でもない魂でもない

わたしは
愛している
あの人のなかにいます

ふたつにみえて世界はひとつ
そのはじまりもその終わりもその外側もその内側もただひとつにつながる
そのひとつの息が人間の息(いのち)を吹きこんでいます

ルーミー


【2016/10/21 10:58】 | ヒマラヤ世界 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ヒマラヤ・アウェアネス・チャンネル(Himalaya Awareness Channel)開設
September 9, 2016

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この度、代表を務めるNPO法人ヒマラヤ・アーカイブ・ジャパンの主要なプロジェクトの一つである「ヒマラヤ・アウェアネス・チャンネル(Himalaya Awareness Channel)」(以下、HAC)を開設しました。HACとは、ヒマラヤに関連する様々な情報をヒマラヤ・アーカイブ・ジャパン独自の視点で選別及び取材し、私たちの社会・生活・人生を考える手掛かりを提供する“インターネット情報局”です。「ヒマラヤの叡智から現代社会を考える」のコンセプトのもと、多様な情報をジャンル分けし(「社会」「教育」「環境」「文化」「健康」「政治・経済」「国家」「特集」)、動画、文章等を使い有機的に結びつけながらお伝えします。今後、英文情報の日本語訳及び独自取材を増やしていく等、逐次、アップグレードしてゆきます。また、翻訳ボランティア及びHACへの情報を募集中です。ご協力頂ければ幸甚に存じます。 かなり以前よりHACを計画していたので、ようやく立ち上げとなり喜びもひとしおです。HACは、言わば、ヒマラヤ・アーカイブ・ジャパンの”ベースキャンプ”。ここを足場に、私どもの組織のミッションである「地球を考える ヒマラヤから考える」という”高峰”の登頂を目指します。


【2016/09/09 11:13】 | ヒマラヤ世界 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ヒマラヤ国際映画祭特集 & トークセッション
Feb. 12, 2008

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第18回 「にいがた国際映画祭」(会期:2008年2月16日~24日)において”ヒマラヤ国際映画祭特集&トークセッション”が組まれました。

■ 「ヒマラヤ国際映画祭特集 & トークセッション」

  *日程:2008年2月23日~2月24日(2日間)
  *会場:新潟映像メディア専門学校3FシアターNextOne
  *内容:映画上映(ヒマラヤ関連7作品)& トークセッション:
   ”ヒマラヤに見る世界の今” 〈ゲスト:テンジン・タシ(在日チベット
    難民)/田中邦彦(ビデオジャーナリスト)〉

詳細につきましては、「にいがた国際映画祭」の公式サイトを御覧下さい。

地方の国際映画祭でこの様な催しを行って頂けるとは有り難いし心強い限り。関係各位に改めて御礼申し上げます。


【2008/02/12 15:08】 | ヒマラヤ世界 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
チョモランマ ー“母なる女神”(3)
Aug. 14, 2007

Chomolungma2


(『チョモランマ ー“母なる女神”(2)』より続き)

詳しく言うと、この「惨劇」が起こったのは、チョモランマのとなりの8千メートル峰 ・チョーオユー(8201m)のABC(アドバンスド ベースキャンプ)付近。現場に居合わせたイギリス人登山ガイドによれば、60名以上クライマーがこの一連の出来事を目撃していたという。実際、狙撃の瞬間の映像を撮影したルーマニア人クライマーを初め、多くの欧米人この非人道的な行為を公に告発している。彼らは、ヒマラヤの「震え」を感じ取りアクションを起こしたのだ。

一方、日本人クライマー(或は、山岳組織)はどうだろう。一向に声があがってこない。現場に居合わせなかったのか?考えられない。チョーオユーはヒマラヤの八千メートル峰の中で比較的登り易い部類に入り人気が高い。しかも、天候の安定する「ポストモンスーン期」だ。日本人たちが居ないと考える方が無理がある。

では、彼らは何故黙りを決め込んでいるのか。明らかな理由の一つは、その「惨劇」が「チベット問題」に関わっているからだろう。

繰り返すまでもなく、中国政府は「チベット問題」に非常にナーバスになっている。ダライ・ラマが外国訪問を予定する度に、その国々に圧力をかけ訪問を中止させようとする執拗な行為もその現れの一つ。当然、「チベット問題」に言及する組織・個人に対しても制裁を加えようとする。以前、日本のある新聞社がその問題に関する記事を出したため中国政府の逆鱗に触れ、北京の支局を封鎖され記者は国外退去処分となっている。

つまり、登山家(冒険家・探検家)も「チベット問題」に触れれば、同じ目に遭う可能性が高いのだ。つまり、登山(或は入国)許可が下りない。彼らはそのことを懸念しているのだろう。もしかすると、「チベット問題」を知らないのか? あり得ない。あらゆる情報が容易に検索できリンクしてゆく“インターネット時代”だ。「チベット」、「ヒマラヤ」のキーワードを入力すれば、「チベット問題」や「チベット難民」などの文字が直ぐさま目に飛び込んでくる。試しに、”Google”や”Yahoo”で検索をしてみて下さい。

とすると、意図的に無視しているのか? 残念ながら、その可能性は高い。「チベット問題」は既におよそ50年に渡る問題だが、(著名な)日本人登山家(冒険家・探検家)がその問題に言及したという話を私はこれまで一度も耳にしたことが無い。

真にヒマラヤ、チベットを愛しているのであれば、その大地、及び人々が不当に傷つけられている現実(=「チベット問題」)を看過出来るはずが無いし、してはならない。私はそう思う。

私も登山愛好家の端くれでヒマラヤ・チベットを愛している。だから、“母なる女神”・チョモランマには是非登りたい。だが、今ではない。「チベット問題」が解決してから、或は、解決への光明が見えてからだ。

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「北京オリンピッック開催の2008年に」と態々銘打ってチョモランマ登頂を目指す日本人「著名人」もいる。その方の生き様を尊敬し共感している。だが、ことその登山に関しては、大変申し訳ないが、思慮が足りなさ過ぎる。「問題意識」の浅薄さを疑わざるを得ない。

真の「冒険(探検・登山)」とは、「パイオニアスピリット(“開拓者魂”)を発揮して未知なる困難に立ち向かう行為」だと思う。

そこで御提案。

急激な経済成長を遂げる“難攻不落”な中国の「政府」という“高峰”こそ、大衆化したチョモランマを遥かに超える冒険の対象だと思うのだが、如何だろうか。 以前の記事(『ダライ・ラマ回想(6)』)の中で、「『チベット問題』の解決のために、日本の政治家に“チベットと中国の橋渡し”役を担って頂きたい」と書いた。同様の役割を著名な冒険家(登山家・探検家)にも大いに期待している。

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大学時代、ヒマラヤの氷河(クーンブ氷河)の岩の隙間でただ一人一夜を過ごすはめになった。数時間鳴り響いた雷鳴がやみ、やがて、月明かりがさしてきた。岩から這い出ると、そこには、月光に浮かび上がったヒマラヤの山々が。プモリ、ヌプッェ、そして背後には、ややシルエットがかった巨大なチョモランマ。頂上の雪煙がもの凄い勢いで虚空に舞い上がっている。その姿は、まるで、白き王冠を頂く女神の様だ。プモリ、ヌプッェはあたかも「女神」にかしずく召使い。

崇高で気高く気品ある「母なる女神」は確かに宇宙の中に鎮座していた...


これまでに、地球上の幾多もの嘆き、悲しみ、喜びを、母なる女神・チョモランマは俯瞰してきたはずだ。

そして今でも、眼下に広がるチベットの大地、チベットの人々の秘めたる“叫び”を「母なる女神」は静かに受け止めている。


テーマ:チベット - ジャンル:海外情報

【2007/08/14 03:48】 | ヒマラヤ世界 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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